・不良文化の崩壊と少年犯罪
本章は、突発型の幼稚な少年犯罪が、なぜ急増しているのかを不良文化の崩壊から見ていくという構図である。土井は犯罪を、レマートを踏まえながら二パターンに分類する。
①第一次的逸脱・・・偶発性に満ちている。
②第二次的逸脱・・・社会的な相互作用の産物
土井は、少年犯罪が②から①に移行していると主張している。双方について、詳述する。まず、②であるが、これは「学習された犯罪」と理解すればよいと思う。つまり、犯罪の手口や正当化の手段を、犯罪集団―不良グループ―の中で過ごすうちに学んでいくのである。喧嘩―暴行―を例に挙げよう。喧嘩の作法や致命的な怪我を負わせない方法を覚えていき、この犯罪行為は、所属組織のためのものであり、組織への忠誠心を示すためのものであると正当化していくのである。しかし、不良グループが解体していくにつれて、犯罪を学習する場が失われていく。
つまりは、犯罪―とその周辺―を学習する機会が失われ、「犯罪の素人」が増えたのである。先の喧嘩をもう一度例にとれば、人とどのように喧嘩すればよいか―ひいては喧嘩を抑止するための威嚇の仕方ー、加減はその程度かが分からないものが増えたのである。それゆえ、カッとなって(偶発的に)、人を暴行し、時には死に至らしめる場合が散見されるようになったということである。彼らは、かつての「犯罪の達人」と比べれば、犯罪を錬磨する機会がないために、犯行は稚拙だし、動機も曖昧であるために、「幼稚」・「訳が分からない」と言われてしまうのである。
・感想
①犯罪集団の解体のメタ的な背景には、後期近代への突入による個人のアトム化やコミュニティの解体があるのでは?
②犯罪のアトム化云々に関しては、「半グレ」に関しても言えるのでは?旧来のヤクザの求心力が失われた後、諸個人が犯罪ごとに結合していく「半グレ」が隆盛していくことになる。かれらのうち、「犯罪の達人」が育つことは無さそう。
③関連しそうな本
かつての不良文化を知るための本
鈴木智之(2013)『心の闇と動機の語彙』
少年犯罪を「透明」・「闇」と名付けてしまった、日本社会に関する論考。
打越正之(2013)『ヤンキーと地元』
知念渉(2018)『ヤンチャな子らのエスノグラフィー』
現代的な不良文化に関する論考